EVが環境問題の切り札というハナシは多くて勘違いしやすいところではある。俺もEVさえあれば環境問題なんざ半永久的に解決できるだろうと思っていた。さて、そこで調べてると、こういう「EV環境問題切り札説」に反論があった(池田信夫氏も同じことを言っている)。
EVが一気に大量に普及した場合、その電気をどこで作るのか、という問題だ。仮に現在走っている車が全部EVになったとすると、今ある発電所では電力をとてもまかないきれない。原発をどんどん作れば解決可能だろうが、特に日本では国民感情がそれを許さないだろう。そうすると火力発電の大規模な増設か。だが現在の火力発電は、世界的に見ると排出するガスがあまりきれいではない。大気汚染で一時問題になった北京の空がきれいになったのは、石炭火力発電を止めたからだという説が有力だ。逆に東京に車がこれだけ走っているのにきれいな青空が見えるのは、車が吸った空気よりもクリーンな空気を排出しているからである。
EVが普及したところで、その動力供給源となる電力は使わなければならないことに変わりはない。その供給源の根本はフランスでは原発だが、日本では国民の間で昨今原発が危険視されている。ここではその原発賛否の議論をするつもりなんざ毛頭ないけど、EVが普及し使用されるということはそれだけの電力を生産する必要があるわけだ。それが火力であれば、環境問題に逆行していることになるしそういうデータもはじき出されている。頼みの自然エネルギー発電は、光電パネルを生産するのにかなりの希少金属を使うし発電効率はかなり低い。
そもそもEVにだってその内部のモータには希少金属が使われている。これは佐川さん(ネオジム磁石の発明で世界的に有名-風のうわさによると、飯島澄男先生でさえ、佐川さんはかならずノーベル賞取るっつってる-)が磁性体の改善を見込んで研究している最中のことだし、国内の多くの学者が取り組んでいる研究だろう。
むかし欧米の学者に、EVを「ろうそくの火」に例えたハナシがあったという。よーするに、我々はEVを環境問題の切り札として、効果的に使おうとするけど、それが切り札にはなりえない。それはEVのエネルギー源が電力という実体のあるエネルギーを駆使するからだ。つまり、「ろうそくの火」はいつか消えてしまう運命にある。その消えるタイミングを遅らせることはできるが、火が消えること自体(エネルギーの枯渇自体のこと)を払拭することまでは至らない(100%エコロジーにすることはできない)。これはインスピレーションとしてはかなりおもしろいたとえ話だ。
例えば、回路図に転じてみると、これまたおもろいことがある。特定のインピーダンスを使えば、確かに電力は増幅できるだろう。だが、こういった回路が、環境問題を解決できるかってのは曖昧な抽象論議に帰結し、結果的に無意(すなわち、できない)ということになる。つーのも、この回路で電力を増幅できても、使う電力自体を増幅することはできないからだ。おそらく、抽象的な考え方ができない子供はこの話の筋はわからないだろう。だが、大人になればそのロジックは簡単に理解ができる。それはこの問題が蛇口から出る水の水量の問題のたとえと完全に重なるからだ。
インピーダンスを使っても、蛇口からでる水の量自体を増やすことは出来ない。もともとのエネルギーの根源を増加させることは出来ないんだ。エネルギーは使った分だけ使うことになる(あたりめーだが)。ゆえに回路問題がエネルギー問題の根本的な解決につながるとは絶対にありえない。EVのたとえ話もこれに非常に似ている。じゃぐちはひねった分だけ水道会社から請求が来る。ひねって出るじゃぐちから出る水自体の量を増やすことは出来ないわけだ。
ありていな言い方だが私達ができることってのは環境を大事にして、自らをおごらないことだ。やはり「ろうそくの火」はいつか消える。だが、そのタイミングを遅らせることはできる。例えば、モータの効率が1%上がれば、原発数機分のロスをカバーリングできるとよくよく言われる。工夫することでなにかがうまれる。