最近何かにつけてAIAIって騒がれてるけどあれってすごく古典的な機械学習っていう統計学ん要素のうちのひとつじゃ。池田信夫先生もおっしゃっているとおり、AIに仕事が淘汰される時代はそうそう来ないと思う。彼は比較優位という言葉を使っているが、その参考例は小学生にだってわかる論理なんじゃ。例えば、池田先生はこのエントリでこのようにおっしゃる。
本質的な問題は、機械は人間より安いのかということだ。たとえば外食レストランで注文をとって食事を出すロボットができたとしても、そのロボットを時給1000円で借りることができないかぎり、人間の仕事はなくならない。
これは詳細な事例を挙げてみればわかるが、機械化のコストってのはいろいろとかかる。例えば、メンテコストがかかれば、そのための人件費もかかる。人間の育成教育費を含む時間給などの総計はロボットの自動化システムを導入するコストよりも現状とても安く、このふたつの関係はそうそう簡単に立場がひっくり返るものやない。

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単純労働は実は機械が簡単に淘汰される労働ではなく、むしろ弁護士といった高度な職種・ハードでなくソフトな意思決定のほうが実はAIのほうがやりやすいという現状がある。実はその筋では淘汰されるのはソフトであって、ハードじゃないわけだ!つまり高度な職種のほうが実はAIが担当しやすくて、逆に低級と一般的にみられている職種のほうがずっと人間に向いている。これは一般的な発想とは別のベクトルや(一般的には単純労働が代替されやすいといわれているのは周知のとおり)。

このスタンスは、経験知でも体感論でもよくわかることじゃ。例えば、CCDを使った半導体検査要員に人員を配置するのは、現状ロボットによる検査システムを導入するよりも、ずっと安いんだな(例えばカメラ認識とそれを分別するマニピュレーション自動機をカスタムして設計してもらうだけで数千万は吹っ飛ぶはずだ!)。オズボーンの論文はそういう意味では間違っている(すくなくとも現状の初期的な定義においては)。だから、検査員ってのは今後もしばらくはAIやロボットマシンにそうそうやすやすと淘汰されない。

んで、これが旋盤工とかになるとさらにフィーリングの問題になる。ここで問題だが、「最初の旋盤ってだれが作ったの?」っていうことと同じや。マザーマシンは子となるマシンを、マザーマシン以上の精度で作ることは本来はできないはずだ。人間は長い歴史の中で感性でもってして精度を地道に上げてきたんだ。それが今に至って工作機械という発明品となっているんだね。このフィーリングのからみをAIやロボットが簡単に短期間で解決するとは思えない。だが、一方で、池田先生がこの第二のエントリでいうようなこと、これは甘く見てはいけないと俺は思う。

機械学習の概念はたしかに教師ありデータが必要だが、新時代のポストAI・アメリカで研究が今盛んなのは教師なしデータからなにかを得ようとする新しいタイプのAIなんだ。教師ありっつのは元データがビッグデータみたいに必要だってこと。その逆で、ビッグデータのような教師のないところからイノベーティブになれるAIっつのは今後は出てくるかもしれない。だから、東ロボ君のプロジェクトは失敗に終わったと早計に判断はできない。

よーするに、結論から言っちまうと①単純労働よりも高度な職種とみられている職業のほうが人工知能には担当しやすい現状がある②ポストAIが東大に入る日は来るかもしれない...ってことだ。

(´-`).。oO(あと、先生。全体的に統計学は最適化問題と単純にいっておられだけど、統計的ビッグデータの領域はいわゆる回帰分析だけじゃないっす。ロジスティックとか多変量解析、分散分析の応用である実験計画法とか、機械設計に至っては有限要素法まであります。経済理論でゲーム理論とか、その周りに非線形問題があるようにね!)