The Daily Me is a term popularized by MIT Media Lab founder Nicholas Negroponte to describe a virtual daily newspaper customized for an individual's tastes. Negroponte discusses it in his 1995 book, Being Digital, referencing a project under way at the media lab, Fishwrap. Designed by Pascal Chesnais and Walter Bender and implemented by media lab students, the system allowed a greater deal of customization than commercially available systems in 1997.これってさ、「憲法の日」とかよくやるけど、あれって意味ないのよ。なぜかっていうと特定の領域で同じ意見の人が討論し続けると、より極端な意見が出てくるわけよ(これを「集団分極化」という)。だから賛成派と反対派で対談しないとヘーゲル的な弁証法のいい意味での民主的な枠組みって出てこないのよ。んで、実はSteamとかAmazonとか意見主義の全般においてもそれって見受けられる現象なのよ(まぁロングテール現象は別例だけど...)。実はゲームデザイナーだった故・飯野賢治もこの問題は顕著に指摘してた。
チョー適当訳:デイリー・ミーとはMITのメディアラボ所長のニコラス・ネグロポンテにより、よりよく知られるようになった、新しい個人化された新聞情報のことである。MITメディアラボでプロジェクトが進み学生などとともにデザインされた。この「個人的新聞システム」は個々人にカスタマイズされた、情報を示すコンテンツ端末を示す、というものである(ネットユーザならば誰もが知るように”商用可済”である)。
Cass Sunstein, a law professor at the University of Chicago, analyzes the implications of the Daily Me in his book Republic.com. Daily me and echo chambers have been suggested as one of the extremes of society induced by technology, the other being Tyranny of the majority.
シカゴ大学のキャス・サンスティーン(現ハーバードロースクール教授)によって提起された、デイリー・ミーのはらむ問題として、特定のポピュリズム主義を正当化してしまう現象(エコーチェンバー現象)がある。これらは”数の暴力”を正当化しかねない、ネット上ではリンク傾向によって現れる悪しき現象である...とサンスティーンは警告する。
例えば、あるゲーム買ったとする。すると機械学習のアルゴリズムで推薦ゲームが出てきちゃうわけよ。これって特定のゲーム領域に深みをもたらすっていういい意味合いももちろんあるけど、特定の意見や特定のレビューに基づいた、機械主義的なAIによる情報提供であるから、『自分の見識の広がりを妨げちゃう要因』にもなるのよ。Steamの場合ゲームだからいいけど、これって新聞とかフェイクニュースサイトとかKKKとかのHPの事例だとまじでやばいわけよ(ハイパーリンクの傾向分析の先行研究でも同じようにエコーチェンバー現象が出てる)。賛原発or反原発の対立軸とかも同じ(飯野が指摘したのはココど真ん中)。
Steam版デイリー・ミーは、通常のデイリー・ミーよりある程度はマシです。なぜかっていうとこれ(Steam)がエンタテインメントのケースだから。でも、広がりを否定しちゃうっていう点でもったいない、これまで見受けられなかった見識を提供してくれるゲームエンタテインメントとの接点を無しきもののしちゃうっていうデメリットはある。例えば、シューティングゲームばかりやっていると、シューティングゲームの推薦枠がど~しても多く出てくる。すると、ひょっとして、もっといいゲーム・もっとはまれる他ジャンルのゲームとの接点が自分のSteam人生の中でなくなっちゃうっていうデメリットがあるわけなのよ(エコーチェンバー現象とか数の暴力とか政治面でもこれは基本的なメカニズムでは同じこと)。日本でよく言うじゃん?KYとか空気読めとか。ああいうものと根本的なメカニズムって同じなんよ。
サンスティーンはこの分野の権威であり、ネット的民主主義の問題点を提起しちゃったから、全米でセンセーションを巻き起こしちゃったていう経緯がある。最近はより発展的な「ナッジ理論」にシフトしてるらしい。⇓新著&旧著。でもリチャード・セイラーが銀行賞受賞できてサンスティーンが共同受賞者じゃないってのはちょっと疑問だがw
デイリー・ミーに関して言えば、アリストテレス政治学との比較もできそうだけど、現代版の解決策はあることにはまぁある(ただ、技術力とのせめぎあいでもあるからこの点は気をつけなければならない)。
それは...
・バイアスをなくすかバイアス自体を限定する(人間論の外側で).
・より多くのジャンルや情報に接する(行動主義的な意味で).
・自らのあるいは集団的心理動向に注意を払う(ミクロ的な意味で).
・定期的に情報フィルターの構造を見直す「マインドセット」の実践(こっちはマクロ).
・コピーレフトの推進(著作法改善の提起でもある).
ちょい思いついただけでも、これらだ!
だから、俺のブログってぶっちゃけ基本的には、転載自由なのよw(すでに転載してるとこもあるけど、まったく気にしてないっていうw)。権利を主張せず、コピーレフトを推進する...しかも自らのコンテンツについて積極的に。これって妖精現実のかたも昔いってたけど、案外重要なのよ。フィルタリングとか権利ガッチガチのとこを批判して、情報を全体的にさらけだすことで、公平中立さを保つっていう名目ができるから。デイリー・ミーに関して対抗できるデータ産業ってのは、ある種、コピーレフトが究極だとも言っても過言じゃない。
ちなみに、サンスティーンはこんな著書でも知られる(山形浩生先生訳)。
ひょっとすると...デイリー・ミーの解決策として、こうしたユーモアも構成され得るべきものかもしれない...ゲームがゲーミフィケーションなんて言葉でも社会的に表現されるようになっているのは、その発展性を見込んだうえでのことなのかも、さらに、Steamとデイリー・ミーとの関係性は紐解くと論文レベルに発展するのは間違いないネ(無論、ナッジ派の再構築に関わるミクロ分野のひとつでもある)。