二つのタイトルは一見別のゲームのように見えるかもしれない。だが、最大の特徴は両者ともに華麗な音楽シーンと別の種類のゲーム(この場合前者がローグ系であり、後者がFPSである)をミクスチャした点である。「こういった新しい試みが継続的に今後生まれるのか?」という疑問は、長くSteamを見てきた一介のゲーマとして抱かざるを得ない率直な懸念である。

インディーゲームが脚光を浴びているのは(特にSteamerならば)周知のことだ。かっては、ゲーム機のスペック上昇に伴い「大型の予算がなければゲームは作れない時代に入るだろう」という評論まであったことを、現段階の状況と比べ、矛盾として思い起こすゲーマも多いのではないか?もちろん、ゲヲログを見てくれているゲーマにとっても、ゲームと日々接してきて、「2Dのゲームやインディーゲームのほうがおもしろい」という感想を得るかたも多くいらっしゃることだろうと思う。

今、Steamのトレンド入りを見ていても、それは顕著だ。確かに3DゲームがSteamデータランクで上位に固まってはいるが、決して高いスペックを持たなければできないゲームではない。例えば、先日ふれた「Among Us」は必須スペックは限りなく小さいし、「Team Fortress 2」もかなり古参タイトルながら、いまだに人気である。上位に食い込んでいるものに「Terraria」「Brawlhalla」などがあるが、どちらも純粋にインディーレーベルから端を発したゲームである。また、インディ―ゲームのその総量も数十年前の大方の予想を覆して多めだ。これが、第一の解決された課題である『開発費の高騰に関する問題』だ。さらに、重要な提起となるのはインディーゲームがこのように新規参入していくにあたって出てくる”弊害”だ。

新規参入が続き、新たなタイトルがバンバン出されれば、良いゲームがゲームそのものの総量に埋もれてしまうことが懸念としてあるのは、Steamerならば誰もが簡単に思い付くことである。これについては、市場を”レッドオーシャンとして悲観視する派”と”まだまだ望みはある派”とで別れていて、結論は簡単には出ないだろう。その様子をオートマトンが次の記事で論じてくれている。神ゲーなのに流行らなかった「Strike Vector」およびその続編EXが失敗した事例は典型例かもしれない。これが第二の課題『ゲーム界隈のレッドオーシャン化の問題』である。

さらに次に問題になるのは、ゲームの数が極限まで増え、それらのタイトルの持つゲーム性が自然と没個性的になり、ゲームの進化のためのイノベーションが止まることだ。新規タイトルが増えれば、我々のゲームアイデアの”始祖”もまた独特なものでなくなってしまい、ゲームの種の区別すら困難になることが往々にして発生してきている。誰もが考えるイノベーションの事例はゲーム業界においても、それほど変わり映えしないもので、事実 "着想は同じ" ことが多いからだ。その意味では、前述のオートマトンの記事が伝える市場性の問題とは、”イノベーションの科学”としては別な側面を呈している。これが、第三の課題『イノベーションの枯渇』である。 
完全競争市場では正の利潤が上がっているかぎり新規参入が続き、均衡状態で利潤はゼロになるので、一定の独占を維持しないと利潤は枯渇し、イノベーションが止まって資本主義は崩壊する、とシュンペーターは予言した。

経済は俺の専門とは違うので、シュンペーターの言うような産業の構造理論がデジタルゲームに関しても同じことがいえるかどうかはわからない。ただ、ゲームにせよ(この手の普遍的なIT技術の代表例である)YouTube(とそれを運用するYouTuber)にせよ、どうも『イノベーションの枯渇』の問題は共通項としてありそうだ。誰もが考えるゲームのアイデアってのはYouTuberの企画ものよりはずいぶんと幅広いものがあるが、どちらも斬新さ・新味という点では枯渇しやすいものがあるはず。YouTubeにおいて、インフルエンサーの企画ネタが尽きてきているのには合点がいく。問題は、YouTuberの市場性のようにゲーム業界も技術的に飽和するのだろうか?ということだ。

これからも新規参入がゲーム業界ではバンバン続くだろうが、それイコール技術革新が続くという傾向があるとは限らない。我々のモニターやキーボード、マウスなどのガジェットが固定概念である限り、限界性はある。たしかにVRのような新たなツールはあることにはあるが、果たしてそこまで進化したゲームが、(人間の感性を拡張してしまうツールの駆使を経ているため)ゲームといえるだろうか?あるいは、ゲームというジャンルの存在が大きく変革するのではないか?また、これは、その地点に立った時、イノベーションは限りなく起きるだろうか?という問題である。

もちろん、シュンペーターも言うように社会主義体制に移行する流れが起こったとしても、それは無政府主義的な生産性を持つので、ゲームの本来のありかたに似通っている面はあると思う。これは非常にコンプレクスな(複雑な)ロジック(論理)なのだ。